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ブログ用に描いていたイラストが失敗して、ありゃりゃこれじゃあ使えないな・・と
ふてくされながら落書きしていました。
ワインは太ったおじさんにサーブされたいな。とか
帽子は麦わら帽子が気分だな。とか
そんな落書きです。

本当は「アラビアンナイトの最終回をしってるかい?」
を書く予定だったのだけどな~。
ではそれはまた今度。
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今時な掃晴娘のイメージが気に入ったので「萌え」な感じで描いてみました(笑)
お願い、掃晴娘。


関連記事・・・「クリーンアップ雨天!雨雲お掃除大作戦」
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今日は朝から雨。
窓や軒先に当たるポチポチという雨の音が静かに耳に入ります。
今日は子供が保育園のみんなで野球場見学に行くと言って、昨夜から楽しみにしていたのに。
ちゃんとテルテル坊主にお願いしておけばよかったかしら・・・?

ところで。
明日のお天気をお願いするのはテルテル坊主と昔から決まっていると思うでしょう?、
いえいえ、昔むかしには女性の形をした紙人形でありました。

「掃晴娘」とかいて「そうせいじょう」と読む、雨雲をほうきで掃く女性の紙人形。
これを長雨の時には軒につるして晴天を祈る風習が中国にあったと、
江戸後期の事典には書いてあるそうでして、日本でも平安の頃には女神型の人形に祈っていたのでした。

雨雲を掃く。
いいなぁ。ザッザッと黒い雨雲をはき散らして、青空にしてしまうお仕事の掃晴娘。
クリーン・アップ雨天!雨雲お掃除大作戦。
揃いの鮮やかなブルゾンなんぞを着て、キレイなお姉さん達が箒を手に手に
空の至る所でお掃除するところなんかを想像してしまった。
テルテルちゃん(テルテルちゃんは坊主なだけに僧侶なんですよ、ホントは)達は
降る前にしかお願いが効かない気がするが、
掃晴娘達には降ってからも雨雲を退治してくれそうな気がする。


掃晴娘、はやく雨雲お掃除して。
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ホタルも見たし、こう蒸し暑くて日の光も強いとなると
もう夏なんだわ~なんて毎年、勘違いするものではありますが、
しばらく続くこの夏日よりの後に梅雨があるのですよね。

いつも忘れてしまう。
とっても気持ちが良い風なんかが吹いて、「夏もいいかも」なんて
思う矢先に梅雨がくるのですもの。

そう言っている今日もどんより曇り空。
青色の空と青色の海が見たい気分。
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ホタルを見てきました。
全くの自然の中の蛍ではなくて、小学校の蛍が池の蛍なのでしたが・・・。
でももうホタルが成虫になってゆらりふうと飛んでおりました。

日本の蛍の代表格はゲンジボタルとへイケホタルですけれど、、
群れをなして後尾する為に飛ぶ様子を「源平の合戦」と見立てての名前だとか。

先日見たホタル達はそんなに数が多くなかったせいもあって、
合戦まで行かずに、小さな点滅が空へ空へゆっくり上がっていく様子が優雅でした。
まるで長い髪先にポチリと灯りを付けて走る女の子が、後ろを振り返り振り返り見る度に
光が左右に振れるよに。
灯りを付けた女の子を追いかけて行く内に森の奥に迷い込んでしまいそうな・・・
そんな気がした、ゆらりふう。
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春は曙と清少納言が言ったけれど、このところ、忙しさと体の疲れで早く起きれない、
曙(余談だけれど、曙は明仄(あけほの)が転じた言葉だそうでして、
ほのかに明ける・・・うん、素敵だ)がちゃんと過ごせないじゃないか・・・と思ったけれど、
でも、頃は六月。もう初夏。夏でありました。
夏は夜。月の頃はさらなり。
闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。
と、なりますな・・・と思っていましたら、
今晩は蛍を見に行く誘いを受けました。
ああ、ホントに夏。
しかしもう蛍っているのかしら?
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昔の女の子は「うふん」とわらっていたみたい。
一昔前の本の中では、「女の子はうふんと笑った」と書いてある。

小さな「っ」が入って「うっふん」だと妙に女っぽくなりすぎるけれど、
「うふん」だとなんだか少し、なまめかしいけどいたずらっぽくて、
ただ笑っていても何か思惑のありそうな響きで、
女の人になる前の女の子しか笑えない笑い方みたいな気がしてしまいます。

「うふん」と笑ってみたいなあ・・・と今更ながら思ってみても
とうに「うふん」と笑う年を過ぎて、しかし「うっふん」と笑うには色気も足りず、
どうにもならずに「う」を抜いて、「ふん」と鼻を鳴らすことしか似合わぬ
いまのわたし。
「っ」を足しても、「う」を抜いても、叶わぬ「うふん」の素敵な響き。
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by otegami-studio | 2010-05-31 06:35
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鍵穴の小箱のおばあさまのお姿。
お返事も出来ないままですが、お元気でしょうか。
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井戸の中の蛙ちゃん。
下を覗いて井戸の水の深さを確かめながら遊ぶの図。
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とあるエッセーを読んでいたら、「井の中の蛙、大海を知らず」の諺の
続きがあることを知って、「井の中の蛙~の諺って、いいじゃないか!」と
皆で盛り上がった話がありました。
みんなが嬉しくなったその続きとは

「されど空の青さを知る」。

これを読んで、わたしは「あれれ?」と思ったのです。
諺の続きがあるのは知っていたのですが、わたしが覚えていたのは
「されど地の深さを知る」でしたから。

「されど」がついた諺の解釈は
「見聞を広めれば広い世界を知り、浅く知識をつけることとなるが、
一つの場所にとどまるところで、より深い知識を得ることが出来る」となるのでした。

意味は同じなのでしょうけれど、
空の青さと井戸の深さでは言い回しが違うじゃないの?
そこで少し調べてみると、元々は中国の荘子の言葉。

「秋水篇」にある「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」が原典ですが、
蛙は否定的な意味合いで使われています。

「井戸の中の蛙(かわず)には、海のことを話してもわからない。
それは蛙が狭い環境にとらわれているからである。
視野・見識の狭いものには、真理を説いてもわからない・・・」

そんな内容の言葉なのでありますが、
日本に伝わってのいつのころやら「されど」が付いたようでして・・・。


「されど天の広さを知る」
「されど地の深さを知る」
「されど空の青さを知る」
「されど空の高さ知る」等々。

色んな「されど」がくっついた訳です。
井戸の底から天を仰ぐか底を覗くかの違いはあれど、
小さな井戸の円の中から考える意義。

なにはともあれ、すごいなこの「負け惜しみ力」。
「井の中の蛙」の続きがあることに驚くのではなく、
わたしはこれをつけた日本人の「負け惜しみ力」に
感心してしまいました。

がんばれ、蛙。
「負け惜しみ力」で強くなるんだ。
どんな境遇でも空の青さを広さを高さを、
地の深さを自分の感受性の豊かさを
感じろ!感じろ!感じろ!

だってここにも「本当」はあるのだから。
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by otegami-studio | 2010-05-24 05:20 | おはなし